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揉道7.まさかの開業

丹力(たんりき)セミナーへ参加

桜井寛先生の指導は色々な意味でユニークだった。こういう世界では技術を隠そうとするのが常であるが、桜井先生は隠そうという感性がおありでない。

初めて先生の「丹力セミナー」に参加した時、先生の教えっぷりに感服した。初対面であっても全て見せるのである。全て教えようとするのである。簡単にマスターできるような代物では決してないのに、簡単にできそうに見せてしまう。

 

だから人は勘違いをする。セミナー参加2回目の鍼灸師の先生が、「前回教えをうけてから、うちの女性スタッフの内臓を揉みましたら下血したのですが、何がまずかったのでしょうか?」なんて質問をしていた。

 

「たった1回習っただけでお腹を揉めると考えるあんたの感覚がまずい。」と私なんかは言ってやりたかったが、桜井先生は、そんな質問にも丁寧にアドバイスされる。だからか先生はよく勘違いされる。

 

丹力が簡単でないことは、当のご本人が一番知っている。でもそんな先生の真意を見抜く人はいないように見えた。

治療室は閑古鳥

一方で桜井先生の接客はちょっと不器用だった。

 

「腰痛で・・・」という人に、一通りの治療をした後の帰り際にアドバイスされる。「これから毎日四つん這いで暮しなさい」。

「は????」っという顔になる。部屋の中でずっと四つん這い。犬のように四つん這い。隣の部屋に行くのも四つん這い。トイレに行くのも四つん這いですか???と。

 

怪訝な顔をして帰る患者さんを私は見送った。理由はあるのです。すごく示唆に富んだアドバイスなのです。でもそれを噛み砕いて説明してあげないと、患者さんは理解できないのです。とはさすがに憚られて先生に言えなかった。先生の真意を理解するのは甚だ難しい。だからだろうか、技術は凄いのに先生の治療室はいつも暇だった。

 

私はもともとカイロプラクターになるつもりだった。しかし桜井先生に出会い、カイロプラクティックも学ばれた先生のアドバイスもあり、丹力に挑むことにした。振り返ればまぎれもなく人生の分岐点だったと思う。

 

 

4か月の濃密な修行

そんな先生のもとで、4ヶ月間みっちりと丹力の指導を受けた。毎日4~5時間ほど受けた。治療室が忙しくなかったのが学ぶ私には幸いだった。マンツーマンだったし実質的には徒弟のような指導であったが、私はちゃんと教授料をお支払いして技術を学ばせてもらう練習生であった。ちなみに後にも先にも私が整体の指導を受けたのは、この時の桜井寛先生ただ一人である。

 

同時期に大手の整体学校にも通っていた。こちらも真剣な学びが展開されていたが、真剣にも熱量の違いがあるんだということを私は学んだ。私は桜井先生の元で実のある学びをしていたから、整体学校の授業が虚しく感じられて仕方がなかった。こういう学校を出た人たちが、世に出てプロの整体師になっていくのだ。結局整体学校は中退した。

 

先にも書いたが出し惜しみの無い桜井先生であった。延々と続く反復練習には指も腫れ上がり激痛だったが練習は止まらず、全てを見せて下さり、全てを伝えようとして下さった。ただ数ヶ月でモノになるようなものでは到底なく、先生の元を去ってからも数年、先生の教えを研究し続けた。

 

「三宅君、あとを頼むよ。」

桜井先生もそんな私を認めて下さったのか、「僕が死んだ時の為にこれを渡しておく」と弟子でもない私に丹力資料を色々下さった。桜井先生の手ほどきを受けた人間は沢山いるはずなのだが、どうも私以上にみっちりと腰を据えて学んだ人間はいないようだ。なぜだろうか。

 

勿体つけたり自分を大きく見せようとしない先生のお人柄が、人をして先生の力量を軽んじさせるのかもしれない。人間を見極めるのは本当にむつかしい。当時も今も、桜井先生ほどの技術を持った治療師は滅多にいないのに、「見せ方」が上手い先生の所にほとんどの人は惹きつけられてしまう。

 

桜井寛先生の所での修行が終わってまもなく、私は先生に呼び出された。急きょ桜井先生が東京に移動されることが決まったと伝えられた。そして「三宅君、あとを頼むよ。」と言われた。

 

まさかの開業である。

 

 

 

 

 

丹足創始者

三宅弘晃