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雑談からの講話

師範のお話

 

『情報化社会とは情薄化社会』

 

とある日の仕事終わりのカンファレンス後、ホワイトボートにそう書かれて師範が言葉を続けます。

 

平成という時代はこう言えるのではないか。

 

 

情報化社会という言葉が当てはまるどころか、溢れる情報量に疲弊さえ起こし始めている現代社会。その裏で人間同士に何が起こっているのか。

 

 

師範の言う情薄化社会とは

 

~情薄化社会とは、人と人の付き合いの緊張感の喪失ということ。それはハラの底の喜怒哀楽をベールで包んだ”いい顔”同士のお付き合い。~

 

師範はそう言います。

それが人情の欠落に繋がっているのだと。

 

情報化社会では人と人が顔を合わせなくても会話ができます。打ち合わせも進みます。コンパクトで利便性が高く、合理性を優先した方法です。そこに慣れると人と人の密接な関わりに億劫になるのも頷けます。

 

~互いの喜怒哀楽が見えないから、ちゃんと伝えられているか、ちゃんと受け止めているか、互いの顔を見合う緊張感がなくなるんだね。例えば僕が君たち二人にラインでメッセージを送ったとする。それに返信するとき、目の前で返事をするときのように姿勢を正して、僕の顔や言葉尻から真意をくみ取ろうとする真剣さと誠実さは少なからずとも減るだろう。返事する時間だって自分で選べるし、お菓子を食べながらでもラインなら返事できるからね。~

 

~あるいは誤解を生まないように言葉遣いばかり気にして、”上手な”メッセージのやり取りになる。そこには情が欠落していくリスクがあるんだけれどね。情報が増えるほど人情は減る。つまり、平成は人情が希薄化していった時代だろう。~

 

~だから丹足なんだよ。人と人との想い遣りという心身の緊張感、それは煩わしさとも言い換えられるけれど、その緊張感が情の深まりになっていくんだろうね。~

 

ここで師範の話は終わりました。

 

 

師範代として丹足を通して思うこと

 

師範代として稽古指導を務め、なかなか打破できていない点があります。

 

相手を深く想い遣る、ということ。

 

型に則った動きが体に馴染み、徐々に深く腰を落とした踏みになっていく。気持ちいいとも言ってもらえる。しかし、せっかく軸の上下で作られた力が自分の中で止まってしまって、上手く相手に流れていかない。踏み込んでいけない。そういう人が多いように見受けます。

 

なぜ力が伝わらないのか。それは、自他の間に壁があるからでしょう。その壁を打破するものは、相手への想い遣りに尽きるのではないでしょうか。普段から人と人との関わりの中で、相手を想い相手に想われ、そうした積み重ねの深まりが自他の壁を薄くしていくのだと思います。

 

 

情を深めよう

 

ずっと以前に師範が呟いた言葉があります。

 

『口の上手い人が増えた。情の薄い人も増えた。』

 

 

元号が変わって新しい時代に入っても、 しばらく情の希薄化が進むことは間違いないでしょう。その中で自分がどういう意識を持つか。時代に流されず、人と人の関わりを自ら心掛ける大事さが問われるでしょう。

 

私たちの宝物である丹足が、情の懸け橋になればと願う次第です。

 

師範代

井上紙鳶