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揉道14.私の師

職人と親方

 

職人になるには、先生について教えを乞う必要がある。昔は徒弟制度で親方あるいはお師匠について技を学び、心を鍛え、体を作り上げて一人前の職人となっていたし、最近では職人養成学校で、定められたカリキュラムを履修して技術を学ぶのが主流となる。いずれにせよ、専門職に就くのならば、専門技術をどこかで誰かに教えてもらわねばならない。基本的にはそういう段階を踏む。

 

私のキャリアは整体専門学校と、徒弟に似た丹力の櫻井寛先生の個人指導から始まった。しかし専門学校については早々に見切りをつけ、整体を始めるにあたって必要な技術のほぼすべては、櫻井先生に教えていただいたことはすでに書いた。

 

 

先生運

 

人は占いにいくと金運や恋愛運などを観てもらうが、職人ならば先生運をみてもらうべきだろう。もちろん職人に限らずどの先生に就くかは大事なテーマだが、職人はその職で一生食っていくのであるから、先生運は人生を左右する最重要テーマである。

 

しかし世の中の職人を見渡してみると、この先生運というものをどこまで真剣に考えているのだろうかと疑問に思うことがある。人々は「先生」よりむしろ「学校」で選んでいることが多いのではないだろうか。もちろん良い学校には良い先生がいる確率が高いという考えもあるかもしれないが、私の経験で言えば学校で人生が大きく左右されたような記憶はない。学校は器でありそれ以上でもそれ以下でもなく、先生という血の通った人間との向き合いの方が、私を突き動かしたり、突き落としたりしてきたように思い出されるのだ。

 

あの時、櫻井先生に出会ってなかったら今の自分は何をしていただろう、と思うことはたまにある。もともとはカイロプラクティックをやりたくて、それを櫻井先生にやんわりと諭されて、私は丹力中心の修行をした。櫻井先生に出会わなければ、あのままカイロプラクターになっていった自分がいたかもしれない。いや、それでも私のことだから最終的にハラに行き着いていたかもしれない。

 

過ぎた過去のことはわからない。しかしそれほどに昔は、そして現在も、ハラは安易に踏み入れない特殊領域であって、この領域に入るのが普通ではないのは確かであろう。

 

私は櫻井先生に、丹力に出会えて幸運だったのは間違いない。占い師に見てもらったらきっと「先生運」は上々だと言ってもらえるに違いない。

 

 

手に残る教え

 

私が丹力で教わった技術は、「内臓マニュピレーション」と「足圧」だった。内臓マニュピレーションは、手でおなかを揉んで、内臓の癒着をはがし炎症を解消するテクニックである。それに加えて、「ハート呼吸法」や「バーズ姿勢法」を中心とした丹力実践理論法を学んだ。

 

丹力の技術面は新日本延命医学療法の要素を色濃く残しているように私には見えるが、「ハート呼吸法」と「バーズ姿勢法」は全くの櫻井先生のオリジナルで、特にハート呼吸法は先生の自由な発想力が生み出した発明だと今でも思う。もちろんわごいちでもハート呼吸法は大事に使わせていただいている。

 

そんな教えを受けて、私は屋号も「心斎橋たんりき」と定め、以降数年間にわたって丹力に没頭した。櫻井先生は私に後を託されて東京に行ってしまわれたので独力で修行するしかなかったが、この数年間こそが私にとって本当の丹力修行だったと思い出される。

 

患者さんがやってきておなかを揉む。櫻井先生に教わったことを思い返し、先生の手の動きを思い返し、その差を一ミリずつ埋めていく修行を続けた。櫻井先生とマンツーマンで一日数時間ぶっ通しで揉ませ続けられた?ことがここで生きた。目指すイメージは手に深く刻まれている。あとはそれを実現するだけだったのだから。

  

 

さらなる修行の始まり

 

数年間の孤独な丹力修行をしているうちに、私の中でさらなる学びを求める気持ちが芽生えてきた。

 

もうその頃にはおそらく櫻井先生と同じくらいの施術効果は出せるようになっていて、それでも手におえない病気や怪我はまだまだあって、それらをどう克服したらいいのだろうかと悩む日々が続いていた。

 

かといって周りを見渡しても、櫻井先生以上の治療家を見つけることはできなかったし、私はほとほと困ってしまった。「先生助けてください。病院も治療院も行き尽くしました。もう先生しか頼る人がいません。」と言われて、その人を救えない時のみじめさと言ったらない。

 

でもこれ以上自分を伸ばしていくビジョンが見えない。丹力の枠の外に出て学ぶ必要がある。外の世界で自分には足りないものを見つけなくてはならない。これから自分は何を学ぶべきなのか。悩み続けている時に出会ったのが、『木に学べ』だった。

 

 

西岡常一棟梁

 

法隆寺最後の宮大工、薬師寺再建を担った宮大工、西岡常一棟梁。この方については私がくどくど書くよりも『木に学べ』を一読される方がずっと良いと思う。

 

私はこの方の本に刻まれたお言葉一つ一つに心を打たれるように読み進めた。何度も何度も読んだ。今でも読んでいる。宮大工と整体では全く世界が違う。けれどもどんな先輩整体師たちよりも、わが身に染み入るような教えを与えてくださった方である。私が知ったころには西岡棟梁は亡くなっていたのは甚だ残念だったが、それでもこの方こそ心の師であると勝手に定め、わが身を問う日々を送った。

 

西岡棟梁から学んだことはとても書ききれないが、一つ上げるならば「おもいやり」を挙げたい。

 

西岡棟梁は自分を千年単位の時代の中の一つの装置のような感覚をお持ちであったのではないかと思う。1200年前の飛鳥白鳳時代の大工の技術と精神を、1200年後に繋ぐために薬師寺の西塔を建てられたが、自分はつなぎ役の装置だと、装置だからつまらないではなく、装置という役割を与えられた責任と感謝の念を込めて塔を建てられた。そう私は確信する。

 

塔を建てた顔も見たことのない1200年前の人たちに想いを遣り、1200年後に解体修理する人たちに想いを遣る。それを形にしていく。目の前の人でさえ満足に想い遣れない我々にとって、西岡棟梁の仕事の向き合い方には想像を絶するものがある。

 

 

心の師

 

私は整体の入り口で丹力の櫻井寛先生にいざなわれ、そして数年を経て宮大工の西岡常一棟梁に師事した。

 

整体師が宮大工に師事とはなんと滑稽なことよと笑う人もいるかもしれない。勝手に故人を持ち出すなと怒る宮大工もいるだろう。ごもっとも。相手は天国にいる人である。当然ながら弟子入りの許可などいただいていない。勝手に弟子入りした気分になって、勝手に修行に励んだ気分になっているだけである。

 

もちろん生きている整体師で師匠になってくれる人がいれば、それに越したことはなかった。でも私は師匠だけは妥協できないと考えた。専門知識や技術が卓越しているだけでは物足りない。自分の心根を根底から打ちすえてもらえる人でないといけない。自分が全面的な敬服をしないと本当の師事にはならないと思うから、そういう人は西岡棟梁以外に見つからなかった。

 

西岡棟梁の『木に学べ』に出会ってから、もう10年は経つだろうか。この間、私の仕事の指針は『木に学べ』に記されていた。こんなに温かく厳しい人はそうはいない。読むたびに自分の未熟さが露になり、原点に立ち帰らせられる。

 

薬師寺の西塔を見上げるたびに、「どうですかな?」と問われている気分になる。まだ私は西塔を建てられていない。なんとしても私は私の西塔を建てねばならない。西塔を建てるまで、西岡棟梁には迷惑でも心の師を続けていただかねばならない。

 

 

 

 

丹足創始者

三宅弘晃