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師範コラムvol.4 原理と原則

2月の師範稽古では「ハラで踏む」ということをしっかりと指導しました。丹足は「丹田で踏む」という意味を持つ名前ですから、「ハラで踏む」稽古は丹足稽古の最も根幹ともいえるものです。
 ところで今年から、稽古を「定例稽古」と「全体稽古」と「師範稽古」に分けまして、私は3ヶ月に1回程度師範稽古を受け持つことになりました。井上師範代が受け持つ「定例稽古」と「全体稽古」、一方の私が受け持つ「師範稽古」、その違いは何かというと、「原理」と「原則」のどちらを指導するか、という違いです。
 
 「原理」「原則」とはどういうものでしょうか。思うに「原則」とは「これが基本ですから、これを外れないようにやりなさい」という基本的な規則であろうと思います。我々の稽古においては「丹足の型」がこの「原則」にあたります。「こういう風に踏みなさい。これから外れてはいけませんよ。」という型に則って稽古することで、丹足を正しく体になじませていくことができるのです。ではもう一つの「原理」とはどういうものでしょうか。
 「原理」とは「原則の根本思想」であろうと私は捉えています。例えばボイストレーニングを例に挙げてみると、ビブラートなどの歌唱テクニックを指導することがありますが、これは「原則」にあたります。しかしその奥のもっと根源的なところ、例えば声とは何か、音とは何か、という風に「原則」をさかのぼって考察したときに見えてくる根本思想を「原理」と受け止めていいのではないでしょうか。
 別に「原理」が無くとも、歌は歌えます。「原則」をしっかり練習すればある程度までは上達します。これは多くの求道者たちが体感として知っているはずのことです。しかし「ある程度以上」の境地まで上達したければ、原則だけではいつか必ず行き詰まることもごく一部の求道者たちは気付いているはずです。
 
 丹足稽古における「原理」は「ハラで踏むことの探求」であります。「ハラで踏むとはどういうことか」「どうすればハラを使えるか」、そもそも「ハラとは何か」ということが丹足の原理であり、この指導があるということが、丹足普及協会・千照館の存在意義の根幹になっているのです。
 そういう理由で、師範稽古では原理をこれからも様々な角度から探求する、そんな指導をしていくつもりです。途方もなく奥深い世界に挑戦することになりますが、毎日しっかりと丹錬を行い、「定例稽古」と「全体稽古」で原則を積み上げ、「師範稽古」の原理探求が実りあるものになりますよう、会員の皆さんの努力に期待しています。

平成30年3月9日
三宅弘晃