· 

師範コラムvol.10 圧と揺れ

圧でほぐすという過ち

 

整体の世界では「圧をかける」という言葉をしばしば耳にします。耳にするどころか「指圧」のように圧が名前にさえなっています。「丹足」の前段階であった「足圧」もまた同じです。指で圧をかけてほぐすから指圧、足で圧をかけてほぐすから足圧という名前になっているのでしょう。

 

「圧」の登場は名前に限られません。整体練習の現場などではしばしば「もっと圧をかけて!」というような言葉が飛び交います。圧の活用は整体や指圧などのボディーワークの世界では、まるで生物にとっての空気のようにあるべき当然のものとして扱われますので、いちいち「圧」について考える人はほとんどいないように思います。

 

しかし私はそこに一言申し上げたい。「圧を疑いなさい」と。「圧をかけてほぐすという自分の中の常識を疑いなさい」と。私に言わせれば圧への過信は誤った方向性です。自分の中の「圧でほぐす」という古い固定概念を疑い振り払っていかないと、本当の意味で人をほぐすことはできません。

 

 

圧と破壊のリスク

 

なぜ圧に頼るほぐしは間違いなのか。この限られたスペースでどこまで説明できるかわかりませんが、トライしてみましょう。私が思うに、圧に頼るほぐしには、少なくとも二つの弊害があります。

 

まず一つ挙げられるのが、圧はそもそも破壊行為であるということです。皆さんは揉み返しという言葉を聞いたことがあるでしょう。整体やマッサージを受けた後、直後から翌日くらいの間に、強くもまれたりボキッと矯正されたところなどが痛くなったり、重だるくなったり、時には吐き気や頭痛がしたりすることです。そういう経験をされた人も少なくないと思います。

 

果たして揉み返しが良いものか悪いものか、その是非についての議論は今回は置きますが、ここでは「圧をかけることによって揉み返しが起こることがある」ということを確認しておきます。指や手の平や肘やあるいは道具などを使って揉み圧をかける。あるいはカイロプラクティックのように、ボキッと関節部が鳴るような瞬間圧をかける。揉み圧であれ瞬間圧であれ、いずれにせよ圧をかけて体のゆがみや疲労をほぐそうとします。

 

 

イメージ写真(私ではありません)
イメージ写真(私ではありません)

 

 

このような圧をかけられた体はどういう変化をしているか。部位をひもとき、細密に組織レベルで見てみると、圧をかけられた筋組織や靭帯組織などの一部が破壊されていることが発見されるはずです。

 

この破壊というのは恐ろしく聞こえますが、これは例えば運動後になる筋肉痛と基本的に近いレベルの破壊と考えてください。何百万本、何千万本もある筋繊維のうち百本とか千本が破壊されて切れた程度、というイメージでよいと思います。

 

例えば、ボディビルダーが筋肉を大きくするために行っているのは、<運動→破壊(筋肉痛)→回復(筋肉強化)>というサイクルであり、整体やマッサージもこれに似たことを行っているのです。古くなった筋繊維を破壊し、新しい元気な筋繊維に生まれ変わるための手助けをしているのですね。揉み返しはその課程で起こるものです。

 

「じゃあ圧をかけることは悪いことじゃないじゃない!」

 

と言われれば、確かにそこには一理あるのです。あるのですが、全面的に肯定できないのも事実です。なぜかというと、圧は基本的に破壊行為であるので、その使い方を間違うと予想外の被害を相手に与えてしまう可能性があるのです。

 

具体的に言えば、圧をかけるのであれば、圧をかける「部位(できれば組織レベル)」「強さ」「深さ」「速さ」「長さ」「角度」を間違いなく見極めることが必要なのです。これが本当に難しく、5年10年かけて磨いていく技術ですが、これらを間違って行き過ぎて相手の体を壊してしまったり、逆に怖がって圧を控えて満足のいく効果を得られなかったり、そのような事態になります。

 

それらはつまり「圧は破壊行為である」という本質があるがためです。

 

 

圧が感度を減衰させる

 

もう一つ圧の弊害を挙げておきます。私はあむしろこちらの方が深刻だと考えます。

 

これは私の経験からくる確信ですが、圧をかけたぶんだけ体の感度が鈍ります。「強く圧そう」と自分の体に力を入れれば入れるほど、体は固くなり五感は鈍ります。これはきっと私だけではないと思うのですが、皆さんはどうでしょうか。

 

これは何をもって相手の体をほぐさんとするか、という話にもなるかもしれませんが、私個人的には力押しでほぐそうとしたり、硬い道具をつかってほぐそうとしたりするのは甚だ違和感があります。「圧でほぐす」ことにより施術に大事な五感が鈍ってしまってはどうしようもありません。

 

ですから「圧」ばかりに目が言っている人たちに私が言うのは、「五感をつかいなさい。」つまり「感度でほぐしなさい。」というのです。五感を鈍らせる圧をできるだけ減らしていって、五感の働きを最大化する。その感度でもって相手の体に触れるのですね。

 

圧を完全にゼロにすることはできませんが(触れるだけでも微細な圧はかかりますから)、先に書いた「部位」「強さ」「深さ」「速さ」「長さ」「角度」の精度を上げていけば、相対的に減圧していくことは可能です。間違いなく可能です。これらの精度を上げていくほぐし方を私は「感度でほぐす」と呼んでいます。

 

ちなみに数年前に私の握力を測ったところ、たしか35キロくらいでした。一般男性平均はおろか、女性レベルに近かったのです。整体の世界に入って10年ほどたった時のこと。(最近は木刀を振っているので少し強化されているかもしれません。)これは私がいかに「圧でほぐす」ことを怠ってきた?かを如実に物語る数字だと思います。

 

私は手の平の感度、足の裏の感度こそが生命線だと思っています。どうすれば自分の感度が上がるかをずっと考えてきました。食事の節制をしたり睡眠をしっかりとるのもそのためです。感度が低いと充分に相手を感じることができない。それはつまり相手がよく見えないということ。よく見えないままむやみに圧をかけてほぐす、それはとてもいいやり方だとは到底思えないのです。

 

 

北風と太陽

 

私が整体指導の際、圧のことについて説明するときによく引き合いに出すのが「北風と太陽」の話です。北風と太陽が旅人のコートを脱がせる賭けをする話ですね。北風は、ビュービューと冷たく強い風を吹いてコートを吹き飛ばそうとしますが、北風が強く吹けば吹くほど旅人はより強くコートを握りしめて、吹き飛ばされまいとします。二人で果てしない力比べをしているのですね。ガチガチに凝り固まった筋肉に力任せの圧をかける整体師を見ていると、ふとこの話が思い出されるのです。

 

「圧をむやみにかけることは良くないのはわかった。じゃあどうすればいいの?」と思った皆さんは、太陽を見習うといいでしょう。ぽかぽかと温かく見守り、旅人が自ずとコートを脱ぎたくなるように感度を働かせればいいのです。

 

「感度を働かせるって具体的にどうするの?」ですか。それにはとてもいい方法があります。まずは「相手をやさしく揺らす」ことに専念すればいいのです。

 

 

フワという揺れ

 

丹足を習う人はみな大なり小なり「うまく相手を揺らせられない」という壁にぶつかっていると思います。初めはなかなか揺らせられなかったが、段々と揺らせられるようになってきた、という手ごたえを感じている人も多いと思います。どうして井上師範代はあんなに脱力して相手を揺らしているのに、同じことができないんだろう、それは皆さん共通の課題でありましょう。

 

実際のところ「相手を気持ちよく揺らす」というのは、丹足技術の中でも特に重要なテーマです。「揺れ」抜きに丹足は語れません。相手を気持ちよく揺らすには何が必要か。それは相手に自分を添わせることです。文字化すれば相手の体が触れてほしいと欲している「部位」「強さ」「深さ」「速さ」「長さ」「角度」を見極めることができれば、相手は気持ちよく揺れていきます。

 

とりわけ「フワ」は大事です。

以前書きましたね。↓

 

師範コラムvol.6 フワとグ

 

自分の感度を充分に働かせ、「部位」「強さ」「深さ」「速さ」「長さ」「角度」を見極めることができるようになれば、フワだけで相手は揺れますし、しかも深くほぐすことも可能になります。フワであれば圧は最小化されていますから、相手を破壊する心配はまずありません。

 

しかしただ弱いだけでフワではないということは知っておきましょう。ソフトなオイルマッサージが必ずしもフワではないのですね。フワっと触れているにもかかわらず、相手の体はマットの上でバタンバタンと大きく揺れることだってできる。一見魔法でも使ったかのように見えますが、これが本当のフワですね。ここは間違ってはいけませんね。

 

 

丹足の奥ゆかしさ

 

丹足はフワグフワの揺れでほぐすから丹足になったんですね。足で圧をかけてほぐすという固定概念に縛られているうちはそれは丹足ではなくて足圧なのです。

 

丹足はこのように足圧とは違うアプローチですよというメッセージを含んでいる整体法です。さらに言うならば押圧信仰がはびこる整体界に対する疑問を投げかけているということを、丹足練習生の皆さんは自覚しておかねばなりません。

 

単純な言い方をすれば圧をかける方がシンプルです。こっているから圧す。それだけの理屈です。丹足は感度を総動員して揺れの中でほぐす。圧をどれだけ減らしていけるかの挑戦。簡単ではありません。だからとても面白いのです。なかなか簡単にはできた!と思わせてくれない歯がゆさが丹足の魅力です。

 

なんでも効率よく学ぼうという味気ない時代の今、丹足のこの奥ゆかしさは益々重要になることでしょう。

 

 

 

 

平成30年12月

千照館師範 三宅弘晃