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揉道17.権威の壁

僕は医師にはならない

権威主義ニッポン

 

前回書いた『「おなか美人」ダイエット』の裏側での顛末。いろいろあったが、やはり飯沼氏が言うだけのことがあり、反響は大きかった。出版後まもなく、日本テレビ「おもいっきりテレビ」の番組ディレクターA氏より出演依頼が来た。当時絶頂期だったみのもんたさんと、スタジオ生放送で30分間”おもいっきり”おなかの話をしてほしいとの打診があった。

 

話はその後具体的な日程調整のところまで行った時に横やりが入る。「社内で審査が必要になり、東大医学部教授にチェックしてもらうことになりました。」とディレクターA氏。これで話は無くなったと思った。そんな話はそれまでに何度も経験していた。

 

潮目が変わったのは、関西テレビの「発掘!あるある大辞典」でのねつ造問題だろう。メディアが極端に権威主義に傾いたように私には見えた。

 

 

H医師との出会い

 

大学生のころにH医師に出会い、その後会社員時代、そして整体師修行時代へとお付き合いが続いた。H医師は私より数年上の兄貴分ともいえる人で、私の人生に少なからず影響を与えてくれた人だ。今は東京で開業医をされている。

 

H医師が研修医の頃、自宅で一緒に酒を飲んでいると、いつも彼の手元には刺繍枠があった。何時間も酒を飲み酔いながら話をしながら、彼の手は休みなく刺繍をしていた。特に模様を描いていただけではない。単調なステッチを延々と繰り返していたのだ。

 

「これな、オペの縫合の練習やねん。」彼は無表情でそう言った。恥ずかしがるわけでも、誇示するわけでもなく、淡々と刺繍をしている姿にかえって凄みを感じていた。

 

医学書も膨大な量を読んでいた。「なんで医学部では知識ばかり詰め込んで、オペなどの実践練習をしないのですか?」と尋ねると、「医学はどんどん進化しているから、常に最新の情報を学ぶ努力のできる人間しか医師になれへんのやと僕は思うんや。医学部でその適性を確認しているんやないかな。」と彼は応えた。実際50歳を超えた今も、H医師は毎朝欠かさず4時に起きて2時間最新の医学知識を仕込んでからクリニックに向かう毎日だそうだ。

 

私が他の整体師がするように西洋医療者の批判をしないのは、このH医師を見てきたからだと思う。実際にこれだけの誠実な努力をしている整体師が日本中にどれだけいると言えるだろうか。

 

 

権威の息苦しさ

 

H医師から教えられたのは、誠実な努力と共にもう一つある。それは医者の世界の息苦しさである。

 

H医師は、大学在学中にホストクラブ経営者となり大学中退、その後医師を志して店を手放し大学再入学、30歳を超えて医師免許を得るという異端児であった為か、医者の世界の権威主義に対して相容れないところがあるように感じた。

 

「医局ってやつがやっかいやで。病院で働くにも、個人開業するにも、医局がからんでくるねんで。医局に属さないと色々と不便もあるけどな、属すせば属せで色々と面倒なこともあるねん。ほんまやりにくい世界やで。」とよく呑みながら話してくれた。結局彼は医局に属さない生き方を選んだ。

 

学生時代からそういうH医師を身近で見てきたので、整体師になるまでに、医師になるという選択肢は何度も私の中で吟味されてきたはずである。しかし不思議なことに「医師になろう」と思ったことはただの一度もない。おそらくH医師と同等かそれ以上に協調性のない私が、医者の権威社会の中でやっていけるとは思えなかったんだろうと思う。その判断は今でも間違っていなかったと思うにつけ、H医師には今でも感謝している。

 

 

他人の歩かぬ道を行く

 

「鶏口牛後」という言葉がある。私はこの言葉を目指しているわけではないが、自分をよく表していると思って苦笑いしてしまう。皆が歩いている大通りは歩きたくはない。誰も知らなくて面白くて気持ちよくてドキドキする道を見つけたい。見つけたその道を独占するのではなくて、皆に教えて、私はまた違う道を探し出す。それが楽しい。私は今まさにそういう生き方をしている。

 

そんな人間にとって医師の世界は制約が多すぎるように思う。例えばここで紹介した甲田光雄先生のような方々の英知を、広げ深め活かしていくような世界であったならば、私は医師になっていただろう。しかし現実は残念ながらそのようには見えない。

 

整体経歴の時々に権威につぶされて来た時に、「私に医師免許があったならば・・・」と思わなかったと言えば嘘になるが、たとえ医師免許をもってハラ揉みをやっていても、結局は「異端の医師」になっていただけであろう。それであれば今と根本的には変わりがない。それならば例え逆風の中でも思うままにハラ揉みに没頭する方が、より大きな成果をもぎ取れるはずだと確信するに至った。

 

私はH医師の背中を見て医師を知り、医師の限界を感じ、整体師の道を選んだ。

 

整体学校に入った時、学生仲間に「なんで君のような人が、こんな世界に来たの?」と言われることになったが、私はやむなく整体師になったわけではない。医師にできないことを自分自身の手で成し遂げるために整体師を選んだのだ。だから整体師が整体の世界を「こんな世界」というような現実が残念で仕方がない。

 

 

 

 

丹足創始者

三宅弘晃

 

 

 

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