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揉道20.ハラの大事

 

思えばわずか17年ほどの間に、いろいろな挑戦をしてきた。29歳で独立開業、整体院経営だけでは飽き足らず、整体塾、整体道場、そして一般社団法人の立ち上げ、本を出し、講演会で全国を周り、徒弟という古めかしい制度を引っ張り出しても来た。なぜ整体院の成功だけで満足しなかったのか。整体院のチェーン展開という方向性ではなく、整体院外の挑戦へと常に飢えるように突っ走ってきたのか。

 

私は何に飢えていのか。何を求めているのか。私はずっと模索してきたように思う。初めから自分の中に「これだ」という目的があったわけではない。祖母の死はきっかけであって、整体そのものが目的であったことはおそらく一度もなかったであろう。丹足普及が究極の目的であるとは思わない。わごいちを永遠に残そうとは思わない。これまで汗をながし悩み作り上げてきた全ては、ゴールではないのだろう。

 

変わり続けて挑戦を続けて、その道中で沢山の人に出会い、別れてきた。私は金集めと人気取りに関心がない。やるべきこと、やりたいことをやる。集まりたい人、集まりたいお金が勝手に集まってくるであろうし、集まってこなければそれでもいい。そう思ってきたし、今もそれに変わりはない。

 

翻って今の世情を見るにつけ、ほとんどの人は、人気と金に縛られて暮らしているように映る。それは苦しい生き方に映る。なぜなら人気も金も天下の回り物で、いわば水や空気のようにつかもうとしてもつかめるものではなく、自分のところに留めておくことなどできないからだ。

 

金や人気に惑わされず、私は自分の人生を生きたいと思ってきた。自分の人生を生きるというのは、「何が自分の本当の幸せか」を常に模索するということ。ここで難しいのは「本当」ということであって、なかなか人はこの本当を見つけられない。

 

「本当」は誰も教えてくれない。本にもネットにも出てこない。本当は自分の中、自分のハラの中にあるのだから。私は人生の羅針盤として常に「ハラ」の声を聴こうと挑戦をしてきた。頭は常に間違うがハラは決して間違わない。なぜなら人間の欲はハラにこそあるのだから。

 

実際のところハラとはとても面白い研究対象に感じる。これほど研究のし甲斐のあるものもないだろう。古くはアリストテレスやお釈迦さま、今ではあまたの医学者たちも、結局は人のハラというものを模索しているように私には見える。

 

 

私はこれまでハラを相手に生きてきた。それは「ハラとは何か」を追及する旅であったと思う。わごいちで何万回もハラをもみ、ハラと対話し、講演会でハラについて語り、千照館でハラを鍛えさせてきた。そうして人のハラの正体にジリジリとにじり寄っている。

 

私はハラというテーマに出会えたこの人生に感謝する。今はもうどこまで深くハラを感じ取れるか、解明できるか、それだけが私の関心事になっている。長らく過去の総括をしてきたお陰で、これからの道がはっきりと見えてきたように思う。本当にありがたいと思う。

 

願わくばこの短い人生の時間の中で、少しでも深くハラを解明し、皆さんに伝えられればと願う。

 

 

さて、そろそろこの過去からの模索も幕としましょう。次回で最終回とします。

 

 

 

 

 

丹足創始者

三宅弘晃

 

 

 

 

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