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揉道3.不便の神さま

小中時代の無邪気

「文武両道」と学生の頃、父からよく言われた。勉強もクラブ活動もしっかりやりなさいと。

 

中学校では陸上部に入った。幼稚園から続いていた朝マラソンはクラブ活動に引き継がれ、極めて自然な流れで幼稚園から高校まで陸上一筋で行くことになった。

 

幼稚園から走り始めたのなら名ランナーになっているはずだが、ピークは小学生の時で、最後は平凡な陸上部員になった。

 

勉強は小学校5年生から塾に通い始めた。塾では成績順にAからEクラスに分けられ、私はAクラスとBクラスを行ったり来たりした。こんなに激しく上下する塾生は他に居なかった。偏差値で遊んでいた。

 

中学校のテストはいつも学年で4番か5番くらい。学校の勉強は全然やらなかった。

 

高校時代の憂鬱

高校受験をし、私立高校の特進クラスに特待生で入った。「なるべく偏差値が高くて、授業料のかからないところに入れ」という父のミッションはクリアしたと思う。

 

高校に入ってすぐの統一模試で志望大学を書く欄があった。「先生、高校に入ったばかりで大学のことなんてわかりません。」と言うと、「京大か阪大か神戸大のどれかを書いとけ」と言われてなんだか釈然とせず「京都芸術大学」と書いた。

 

高校に入っても変わらずクラブと勉強だけの毎日が続いた。ひとつの疑問が私の中で芽生えてきた。

 

「なんの為に勉強するんだろう。」

 

担任の先生にその疑問をぶつけてみた。先生はこう言った。

 

「そんなことは大学行ってから考えたらいいんや。大学では考える時間がいっぱいあるからな。だから今は余計なことを考えずに勉強して、いい大学に入れ。」

 

タマゴが先か。ニワトリが先か。まるで禅問答じゃないか。

 

 

 

私はそれまで父や先生に与えられたミッションをクリアするのが人生だと考えていた。それで幸せな人生を送れると思っていた。

 

しかし先生にも先生の事情があった。創立3年目の新設校だったから学校も名前を売らないといけない。その為には生徒を有名大学に沢山入れないといけない。それが大人の事情だった。

 

悩みを深める私に先生たちは「考えるな。悩むな。勉強しろ。いい大学に入るのがお前の人生の為や。」とアドバイスする。しかしそれが大人の本心の全てではないことを感じ取れるくらいには成長していた。

 

大人社会への恨み

成績は急下降した。高2の夏の時点で、英語の偏差値は27まで落ちた。他の教科もズタズタになった。クラブ活動もぱっとしない。父のミッション「文武両道」は完全に粉砕された。

 

人生を恨んだ。塾の先生を恨んだ。父を恨んだ。高校の先生を恨んだ。大人を恨んだ。生きていくことを恨んだ。

 

「とにかく勉強しろ」という大人ばかりで、「人生をどう生きるか」という私の悩みに向き合ってくれる大人は一人も居なかった。もはや人生を考えないで進むことは一歩もできないと思った。

 

もう学校をやめたい。でも許されない。それなら死にたい。このまま大人の仲間入りをしたくない。ひたすら大人社会を恨むしかなかった。

逃げるように神社に

そのころに時々参った神社である。

 

住んでいた住宅街から田畑を抜けた先の川の対岸にある。はるか上流にある橋を渡らないとこの神社には行き着けない。幸い私は陸上部で鍛えていたので、たまの休みの日に走っていった。家から往復でたっぷりと1時間はかかった。

 

一度途中で引き返したことがある。2メートルほどのヘビに道をふさがれた。ひやっと飛び上がって逃げた。

 

不便な場所でヘビがいたりするお陰か、参拝者など他に居なかった。

 

 

 

私はここが気に入った。自分一人しか参らないなら、この神様は俺が独占だ。この神様は俺だけを見てくれるはず。そんな不遜なことも思った。

 

ここで、ひとりで、ゆっくりと考える時間が必要だった。

悪いのは自分

結局自分が悪かったんだと気づくまで、まるまる1年かかった。

 

父や塾の先生に自分の人生を委ねてしまったからいけなかったんだ。人任せにしたくせに結果に不満を言う自分がちっぽけでつまらない奴だ、ということを自覚するまで1年かかった。

 

これからは大事なことは自分で決めよう。どんな結果になっても「自分が決めたことだからしかたがない」と思えるほどによくよく考えて自分で決定をしよう。自分の人生の責任は自分で負おうのだ。

 

どんよりした雲間が晴れ、そう決意した。

 

 

 

「英語の教師になる。その為に俺は大阪外大に行く。」と「自分で」決めたのは高2の3学期だった。目の色を変えて勉強し、それから半年で英語の偏差値は逆さまになった。27から72へと。

 

先生も同級生もびっくりしていた。

便利は怖い

話は少し今に戻る。

 

 

つい先日、山の上で仙人のような暮らしをする人に、「便利は怖い」と聞かされた一言が深々と心に突き刺さった。まさに近頃ずっと考えていたことだった。

 

自分自身も知らず知らず便利社会に吞み込まれている。昔はそうではなかったのに。。。。と昔を思い出した時に、この川向こうの不便な神社を思い出した。

 

「ああ、久しぶりに行ってみたいな。」と思った。弟子二人にも見せてやろうと思った。

不便の神様の正体

今回、神社の境内にある立札を初めて読んだ。

 

ここの神社は「開拓の神様」だと書いてあった。

 

 

 

ああ、道理で。

 

色々なことが腑に落ちた気がした。

 

 

 

30年経ってようやく私は自分の原点に立つことが出来たようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

丹足創始者 

三宅弘晃

 

 

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