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揉道16.著書について

『「おなか美人」ダイエット』という本

 

私に多少なりとも触れたことがある人達にとって、この『「おなか美人」ダイエット』という本は、少なからず衝撃を受けるようである。

 

「先生の本と聞いたから、もっと分厚い本だと勝手に想像していました。」ほぼ全ての人から聞く第一声はこれである。無理もない。私自身もそう想像していたのだから。

 

 

 

我ながらかわいらしい本である。しかし今の時点で、私が世に著した本はこれだけなのだ。

 

2007年11月にこの本は出版された。今から11年前のことである。もうそろそろ時効だろう。私はどういう気持ちでこの本を書いたのか。何を思ったのか。そしてその後今に至るまで、「本を著す」ということをどう思っているのか。

 

少しお付き合いいただけると幸いである。

 

 

著書に対する想い

 

私は本というものをとても大事に考えている。決して読書家と言えるほど本を読んでいるわけではないが、本が人生に与える影響の重みは経験しているつもりである。

 

以前にこの揉道連載で書いた『木に学べ』や、『ヨーガの里に生きる』などは私とって救いであり道しるべであり、そしてまた克服すべきライバルとも言える。例えその人が亡くなっていても、本当に優れた書であればその人は永遠に生き続け、後世の人間たちに教えを与え続けている。

 

私はそういう書に何度も何度も救われ励まされながら、いつしか自分もそういう書を遺したいという気持ちが大きくなってきた。それが人生の最大の目標とさえ感じてきたのである。

 

 

出版が決まるまで

 

ところで私は好奇心が旺盛なところがある。いいと思ったことはなんでもやってみたい。すぐにでもやってみたいのである。

 

いつか素晴らしい書を遺したいと強く思い始めたとき、まず一冊本を出してみたくなった。あまりにも未知なる出版の世界に一度足を踏み入れ、今度のために経験値を獲得しておきたいと思い始めたのが2006年頃だったかと思う。

 

当時は若くて勢いもあった。開業して4,5年経ち、雑誌にもテレビにも出まくって、もうそれにも限界を感じていたというのもあった。ブログも沢山の読者がついてくれたという気持ちの勢いもあった。その若さゆえの勢いで「次は本だ!」そんな一面もあったことは触れておかなくてはいけない。

 

とにかく本を出そうと思って、周りの人に声をかけてまわったところ、わごいちのお客さんのご主人が出版関係の仕事をされているので相談してくださり、ご主人がつてを頼って中経出版社に話をつけてくださった。

 

まことに勢いとは空恐ろしいものである。わごいちに居ながらにして願い通りに出版が決まった。

 

 

かみ合わない企画

 

とんとん拍子に、半ばたなぼたのような展開で出版が決まり小躍りしたのもつかの間のことで、やはり世間は甘くなかった。私にとっては御しがたい難敵に出会うことになった。中経出版で私の本の編集担当をしてくださった飯沼一洋氏というお方である。

 

出版の話が決まり、まず仮タイトルと本の企画案が送られてきた。それをみて私は目を見張った。

 

仮タイトル・・・『「おなか美人」ダイエット』

本の方向性・・・女性をターゲットに気軽に読めそうな本をつくる。例えば『○○教室』という本を参考とする。

 

タイトルは仮であるから議論する段階ではないとのことだったが、『○○教室』という本を見た時にひっくり返りそうになった。私のイメージしていた方向性とは180度違う本であった。

 

「こんな薄っぺらな本が書きたいんじゃない。」「私が書きたいのはおなかの深淵なる世界についてです。」「本当に世の中の役に立つ本を書きたいのです。」と私は飯沼氏に訴えた。私は良い本を書きたかった。良い本であればきっと売れるだろう、そんな風に安易に考えていた。

 

しかし業界でも評判のやり手編集者、飯沼氏の見解はシビアであった。「売れない本は意味がないんですよ。」「でも本当に良いと思う本を出すことは大事ですよね。」「良い本であろうがなかろうが、売れ残った本はシュレッダーにかけられただの紙屑になります。それは環境破壊です。」「では良い本でしかも売れる本をかけばいいんですよね。」「この方向性で書けばきっと売れます。『○○教室』は30万部売れました。この本は売れます。売れなかったら責任は私が取ります。」

 

飯沼氏とはとにかく話がかみ合わなかった。

 

 

魂を売るか。話をけるか。

 

本を出すのは簡単ではない。自費出版ならばともかく、長らく出版不況と言われ出版社のマインドも冷え切っている。確実に売れそうな本しか出そうとしない。そんな中で本を出したことのない私がこういう話をもらえたのは本当にラッキーであった。

 

しかしそれでも、この企画は余りにも方向性が違う。これじゃあ魂を売るようなものじゃないか!とさえ考え、紹介者の方々には本当に申し訳ないけれども、この話は断るべきじゃないかと思った。しかし飯沼氏がベストセラー本をいくつも手掛けるやり手編集者というのが気になった。こういうご縁はなかなかない。

 

魂を売るか、話をけるか、この二者択一で悩み、悩みぬいた末に、私はとうとう結論に達した。

 

この企画で本を書こう、と。

 

「郷に入らば郷に従え」ということわざがある。私は出版の世界など何も知らない素人である。いつか人生が終わるまでに本当に納得する本を出すのが目的であって、今はまだ勉強をするときだ。ベストセラーを次々に生み出している飯沼氏に学ぶことは多々あるだろう。ありがたく勉強させてもらおう。

 

そう決心した。

 

しかし同時に「どんな本になるにしても魂は絶対に売らない」と決意した。適当な仕事はしない。本気で一字一句に向き合おうと思った。

 

 

初めての本作り

 

初めての本作りは、思いのほか楽しかった。

 

全体を取りまとめる編集担当者、ページのデザインを決めるデザイナー、イラストレーター、そして著者である私の4人のチームでページを積み上げていくように本を作っていった。

 

順序としては、まず私が書きたいことをざっと説明し、それを皆で相談し章ごとにまとめた。さらにその賞をページに落とし込んでいく。いわば私のアイデアを他の3人のプロが一緒になって形にしていってくれるのだ。それが各人の仕事とはいえ、ありがたくうれしい気持ちになった。

 

しかしはやり苦労もあった。

 

さらっと読めるような雰囲気の本を作る、というのが与えられたテーマであるから、文字数は極限まで削らなくてはならない。『○○教室』というモデルサンプルまで提示されているので、そこから大きく逸脱することはできない。なかなか厳しいミッションだった。

 

しかしそれでも楽しめたように思う。「このわずか15文字でどこまで伝えられるか」そういう挑戦は新鮮でさえあった。「一見簡単そうで実は深いことを言っているメッセージをちりばめてやろう」それが私の挑戦だった。人間覚悟を決めるとなんでも楽しめるものだ。

 

唯一「ここは先生の自由に書いてください」と言われたのが、プロローグとエピローグ。自由とはいえ、本全体のバランスは保たなくてはいけないが、それでもこの自由はとても嬉しかった。ここに引っかかってくれる読者は、私の本当に書きたかったメッセージをキャッチできる読者はどれだけいるだろうか? そんなことを楽しみにしながら、気持ちを込めて書いた。

 

今改めてプロローグとエピローグを読み返してみたが、整体歴数年のひよっこにしては堂々たるメッセージだとおもう。

 

 

最後に大もめ

 

この本は当初2007年の夏前に出版する計画だった。女性が体のラインを気にするシーズンにぶつけようという飯沼氏の計画だったのだが、数か月遅れてしまった。

 

遅れた理由は、単純に原稿の完成が少し遅れたことと、もう一つタイトルでもめたことだった。

 

私は初めからこの『「おなか美人」ダイエット』というタイトルは嫌だった。「おなか美人」はいい。でも「ダイエット」はいただけない。そもそもプロローグにこう書いてあるのだ。

 

 

「本書は食べたいものを無理に我慢してやせるという、ダイエット本ではありません。」と。でもタイトルは『「おなか美人」ダイエット』。看板に偽りがあからさますぎるじゃないか。

 

ちなみに本の内容については著者が決定権を持つが、タイトルは出版社が決めるものらしい。だから字数などの制限はありつつも内容に関しては私の思うままに書くことができたが、タイトルについては飯沼氏が決定権を持っていたので、私はタイトル変更のお願いをしなくてはならなかった。

 

とにかく私は『「おなか美人」ダイエット』は変えたかった。でもただ嫌だと言うばかりでは芸がないので、こちらから別のタイトルをいくつか提案してメールを送った。

 

さらにこちらの提案に説得力を持たせるために、友人知人の女性たち、つまりこの本の読者ターゲットに近い人たちと一緒に案を出し、彼女たちが「このタイトルの本なら買うかも」という提案を飯沼氏にぶつけた。

 

もう私はさんざんこれまで企画に譲歩してきたつもりだったので、タイトルに関しては一歩も引かないと固く心に誓っていたのだ。必勝を期して、女性の声を味方につけて、タイトル案をいくつか送った。これならさしもの飯沼氏も検討せざるをえないだろう。

 

しかし相手もさるものであった。私のタイトル案をメールで受け取った飯沼氏が行ったのは、中経出版社内の女性社員に私の案と『「おなか美人」ダイエット』を一緒にして、どれがいいか?というアンケートを取ることだった。

 

やがてメールの返信が返ってきた。「当社女子社員に対するアンケートの結果、やはり『「おなか美人」ダイエット』が一番人気でした。ちなみに三宅先生のそれぞれの案の獲得票数は・・・・」という念の入れようで。

 

私もそんなことではめげない。また再び周りの女性たちの助けを借りて、別のタイトルをいくつか送った。それに対し飯沼氏もまた社内アンケートを取り、「やっぱりおなか美人が一番で・・・」という返信を送ってくる。

 

結局4回ほど、延べ20個ほどのタイトルを送ったが、中経出版女性社員の中では『「おなか美人」ダイエット』が不動の一番人気だったとのことだった。

 

何度も、何週間もそんなやり取りを繰り返しているうちに、私には疑念がわいた。果たして馬鹿みたいに忙しい出版社の中で、本当にアンケートなんか取っているんだろうか。飯沼氏が勝手に票をつけてるだけじゃないか。それじゃあいくらやっても無意味だ。

 

どうもそんな気がしてきたとき、私はハッとした。俺は何をやっているんだと。

 

飯沼氏は本の企画も、タイトルも初めから全部決めていて、そこに関しては一歩も譲るつもりなんて元々なかったんだ。著者との関係を壊さないために、首尾よくベストセラーになった時に今後の仕事が円滑に進むようにうまく付き合ってくれただけで、どうやったら売れるかというストーリーは全て彼の中に確立されているんだ。

 

そう思うと、自分のこだわりがひどく馬鹿馬鹿しく思えてきた。タイトルはもう任せてしまおう、と思えてきた。その後に本の帯の相談もあり、これまた私の方向性と全然違ったが、異論を挟む気は全くなくなっていた。

 

飯沼氏は数少ない本当のプロだと思った。本当のプロならば、自分の専門分野において外野の意見に振り回される必要などない。私だって整体においては全て自分の中でストーリーを決めているじゃないか。なぜなら自分が一番詳しいのだから。

 

 ようやくそこに行き着いた。

 

その後。

 

結局そんな最後の大もめもあり、出版時期はちょっと遅れて11月に。女性も厚着になるころで「ダイエット本」は旬を逃してしまった。そのせいかどうか、初版7000部の完売にはなんとかこぎつけたものの重版までは行かなかった

 

「売れなかったら責任を取る」と豪語した飯沼氏にその辺を聞いてみたいような意地悪心もあるが、私がタイトルを素直に受け入れていたら出版時期も早まって違う展開になっていたかもしれないし、彼もすでに一冊の売れない本を作ったということで責任を負っている。

 

それでもこの本は中部地方の生協で取り上げてもらったり、沖縄のファミリーマートにおいてもらったり、日本テレビのディレクターから「思いっきりテレビ」で30分枠で取り上げたいと申し入れがあったり、さすがやり手の飯沼氏だなと思う反響はいくつもあった。

 

私自身の反省としては、やっぱり著書は時期尚早だったかなと思っている。この世界に入って数年で本を出せただけでもありがたいことであるし、『木に学べ』や『ヨーガの里に生きる』に負けないような本を書くには、まだまだ修行をせねばならないということを自覚した。

 

それでも私はやっぱり本を遺したい。ただ売れるだけの本じゃなく、世に必要とされる本を遺したい。そのためには本を遺すに値する人間にならねばならない。以後はそこに必死の日々である。

 

 

 

丹足創始者

三宅弘晃