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師範コラムvol.7 丹足とおもいやり

  今年6月より、丹足普及協会・千照館は活動2年目に突入しました。協会としても、また会員さん一人一人にとっても手応えある一年だったと思います。益々充実の2年目に向かって、共にまい進していきましょう。
 今回は1周年ということで、「協会理念」について、書いてみようと思います。

いく先千年先までも
世界が想い遣りで
照らしあえるよう
我々は丹足を伝え
役立ててゆきたい

 われわれの活動は、この理念と共にスタートしました。この理念が目指す目的地はどこなのでしょう。これははじめてお話しする内容ですね。

 この理念の究極の目的地は、ひとことで言えば「世界平和」です。もう少し現実的にいえば「戦争をできるだけ起こさない社会をつくる」と言い換えられます。
 戦争は怖いです。私たちのほとんどは戦争経験を持ちませんが、想像するだけでも戦争は怖いものです。人が人を殺す。鬼のような形相で、あるいは薄ら笑いを浮かべながら、銃の引き金を引く。人間を殺す。親や子供が悲しむ死を与え合う。想像するだけで戦争は充分に怖いものです。
 しかし我々の中のこの戦争の恐怖を「想像する力」が弱まって来てると思いませんか。兵器がハイテク化し、ボタン一つでミサイルが多くの人を殺す戦争を私たちはテレビでみます。そこに血の匂いも体温も感じることはありません。そこには人の痛み、相手の痛みを頭では理解できても、自分の痛みとして想像することは困難です。
 協会理念にある「世界が想い遣りで照らしあえるよう」の一文は、ここに対する警鐘です。もちろん戦争に限った話ではなく、どこの国でもある暴力などの破壊行為、凶悪な犯罪、誹謗中傷の言葉、身勝手な振る舞い、それら全てに対して毅然と対峙できる己になりましょうよ、という呼びかけなのです。
 丹足は足で相手の体に触れます。なぜ足なのか。手を使わないのか。足の力は強いから、間違って相手の体を痛めるかもしれない、そんなリスクは当然あります。また手の平より感度が劣る足の裏ですから、相手の不調を感じるのは難しくなります。丹足はわざわざ困難な条件で相手をほぐすのです。しかしだからこそ、そこに「想い遣り」が必要となってくるのですね。精一杯に相手を感じようとしないと、自分の中に「想い遣り」を少しずつでも育てていかないと、本当の満足のいく丹足には行き着かないのです。

 人と人の間に「想い遣り」が無くなっていくにつれて、いさかいが増えていきます。その究極が戦争だと私は思います。私は戦争が怖い。子供の時から怖かった。でも今どんどんと世界は戦争に近づいていっているように感じます。だから私はこの協会をつくりました。丹足を通して「想い遣り」の気持ちを共に育み、世界に広げ、社会の役に立てよう、そう考えました。丹足こそ、本当の想い遣りを養う最高の機会になると信じるからです。

皆さんの心の片隅にこの理念を置いて、丹足稽古にいそしんでもらえると嬉しいです。

平成30年7月7日
千照館師範 三宅弘晃